一乗谷タイムスリップ
— 朝倉氏滅亡前夜の選択 —
天正元年(一五七三)八月。
越前一乗谷で五代百三年続いた朝倉氏は、滅亡の刻を迎えようとしていた。
主君・朝倉義景公は重臣・朝倉景鏡の進言を受け入れ、大野・賢松寺へと落ち延びる。
——だが、後世の史書は、その景鏡こそが裏切り者であったと記す。
令和より、若侍「結城弥七郎」として一乗谷に降り立ったあなたは、
三つの場面で、三つの選択を迫られる。
歴史を、変えられるか。
所要 約5分 / 全4結末 (場面1の選択も結末に効く)
序
結
RESULT
—— 史実メモ ——
朝倉義景は天正元年(1573)8月20日、大野・賢松寺にて、重臣・朝倉景鏡の急襲を受けて自刃。享年41。一族五代103年の越前支配は、ここに幕を閉じました。一乗谷は信長軍によって焼き討ちされ、3日3晩燃え続けたといいます。
景鏡はのちに「土橋信鏡」と改名し信長に仕えますが、天正2年の一向一揆で討たれます。鳥居景近・高橋景倍は、最期まで義景に殉じた忠臣として記録に残ります。
現在の一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡。復元町並みでは、当時の城下の暮らしに触れられます。